

操体法とは?
操体法は、仙台の医師 橋本敬三先生(1897-1993)が創設。
「人は基本的に、生まれた時には体のひずみはなく、体の設計にはミスはないのだから、このようなもとの状態に戻すと、それも無理なく戻すことによって、状態は改善できる。それが操体法である」
操体法のすごさとは?
橋本 敬三先生は、新潟で西洋医学の道を究めて、開業医として、患者さんに接した若い時代に民間に伝わる正体術を始めとする東洋医学的な治療をみずから体験。
体験を等して東洋医学的な治療の意味について研究し、実証を積み重ね、努力の末に独創的な健康法としての「操体」を確立させて、全国に知られるようになりました。
「操体法」は「現代農業」に橋本敬三が執筆している時(1975年~1977年)、編集者が「操体よりも操体法のほうが語呂がよいのでは」ということで、「操体法」という名称が生まれた。
なお「操体」は、橋本敬三の哲学、息食動想の「同時相関相補連動性」などを含めたものを指し、「操体法」は橋本敬三が行っていた臨床の部分を指す。
操体法(そうたいほう)は、橋本敬三が函館に在住していた期間(1926年~1941年)に、正體術(せいたいじゅつ)を高橋迪雄の高弟・奥村隆則に学び、これが操体法の土台となったと言われています。
橋本敬三氏・・・ 患者は、医者がダメなら民間療法に走って行く。
そして、患者は民間治療である程度満足しているようだ。
そんなら、こっちも民間治療なるものの実体を知りたい!と思って 漁りだした。民間治療を漁るなかで、私は、痛いことをしないで、痛くない方向に動かして治す方法があることを知った。
骨を動かすのである。私にはピンときた。骨格(体の基礎構造)と疾病とは関係があるな。
(生体の歪みを正すの一部から抜粋)」とあり、この体験が操体法を生み出すきっかけとなった。


同時相関相補連動性とは?
同時送還相補連動性というのは、ある働きが悪くなれば、同時に他の働きも悪くなり、逆に、ある働きがよくなれば、同時に他の働きもよくなることを意味しています。
特に操体法では、息食動想(そくしょくどうそう)を基本としていて、
息=呼吸
食=飲食
動=身体運動
想=精神活動
を、指します。
この4つは生きている限りは、代わりに誰か他人にやってもらうわけにはいかない生命活動です。
この息食動想の質が、その人の生き方、健康状態に反映されるわけです。
▷「想」とは? 想とは、精神活動ということで、それぞれの心餅が姿勢に現れるように、精神活動は深くかかわっています。
これは、言葉を統制することによって、心の平静を保つことを勧めています。
「言葉は運命のハンドル」といい、その人の自ら発する言葉によって、運命が決まってくるという考え方です
自然界に「生」を受けたこと、この恩恵を認識できれば、感謝がわくようになります。
感謝のない人生程、悲惨なものはないと話します。
天地の恵み、親や人々の愛情、常にこの恵まれていることに心を配り、探し求め、気が付いたらそのことを口に出して感謝しましょう。
鼻をつまんで耐えてみる。
1日断食する。
空気や食べ物のありがたみ。
感謝することによって心は明るくうれしくなり、行動も、親切になり、運命は好転します。
運命は口から出す言葉の方向に進む法則があります。
正體術とは?

操体法は、正體術を参考に作られています。
橋本敬三先生の哲学的観点も取り入れて、、操体法が作られています。
やはり、その中で、操体法と正體術の違いがあります。
正體術は、「歪み」を見つけて、歪みが治るように手足を動かしてみる、今度は全身の力を抜くこと。そして歪みが治る方へ力を入れて、3秒か5秒力を入れて、急に力を抜くこと。全身の力を抜くこと。この、力を入れて、それを止めて、ガタっと力を抜くことに矯正の秘伝があるのです。」
これと同じようなことを、操体法の橋本敬三先生の初期の本にも書いてあります。
元祖の正體術は、修正したい状態に形を整えていき、反対方向にドスンと落とすのが正體術です。
感覚を捉えれば、「不快」から「快」の方向へ。
痛みや、ツッパリ、それを無くす、解除される方向へ動かすのが正體術の真髄とも言えます。
操体法は、最初は、「楽ではない方向」へ、体をもっていき、次に「楽な方」へフワリと、動かします。
「不快」から「快」へ動かすイメージです。
ここで違いは、ふわっとやるのか、ドスンとやるのか、違いが出ます。
他にも違いが存在します。
正體術では、1回ですべてを行う、何回もやらない形で行きます。
正體術の高橋さんは1回の衝撃で筋肉はあるべき位置に入るから、何回もやることは、無茶苦茶になってしまうという考えのようです。
それに対して、操体法は、複数の操体を続けて行います。
ふわっと行う上では、衝撃の心配が内容です。
何度も連続していろいろな形の操体をやっていいという考えです。
むしろ色々とやらないと、操体法では、なかなか整わないという印象の方もいます。
まとめると、「ドスン」とやるのか、「ふわっと」やるのか、「1回」やるのか、「連続」で行うのか、この違いはありそうです。
その後、直弟子を中心に、橋本敬三の生前の指示や考察をもとに具体的手法は更新されているため「操体法」を名乗っていても、どの立場でいつ方法を継承したかによって、施術内容が大きく変わることがある。
初期においては、痛みやつっぱりを感じるとき、痛い方向・つっぱる方向から、痛くない方向・つっぱりを感じない方向にゆっくり動かし、最後にすっと力を抜くと歪みが解消されるという方法を採っており、この方法を継承している者が多い。
極めて奥深い原理原則の一部分であることを橋本敬三氏は次のように明快に体系化した。
命ある人の身体は、余程の事情がない限り生まれつき健康で生きるようにつくられている。
そして、ふだんは何の気なしに日々を過ごすが、誰もが他の人には替わってもらえない四つの基本的要件を身体のうちに備えており、そのどれ一つを欠いても生きてゆけない。
それは、「食べる」「呼吸する」「動く」そして「思いめぐらす」の四つである。
しかも、これらは身体の中で今現在互いに相関連しあっている。
また、身体は宙に浮いているのではなく、地上のある場所で生きて行くための物質を用い、他の人と交わり人生を体得する。
つまり、人は「環境」とのかかわりをもって存在している。それらはそれぞれの法則を備えているから、逸脱すれば全体が歪み、崩れる。
誰もが備えているこうした「生き方の自然法則」を「食・息・動・想の同時相関の体系」ととらえ、生存の土台である「環境」との全体的で総合的な関係として確認しておかねばならない。
橋本敬三先生曰く、
「私に、知恵を授けてくれたのは、みんな町の、民間の治療師や漢方医たちだったんです。
私は若い頃は、大学の研究室で神経生理をやっていたが、とうとう、食いつめて、民間の病院に飛び込んだ。
ところが、大学では研究ばかりで、実際に患者さんを見る臨床をまるっきり経験していなかったため、現代医療に自信を無くし、民間療法に目を向けたってだけだから、私はあんまり自慢するほどのことはないわけだよな。
大正10年(1922年)に医師となり、最初は、基礎医学の生理学教室に入ったが、その5年後には、臨床へ飛び出した。
臨床の師の指導というものを受けたことがなく、基礎医学も、初歩からいきなり民間臨床に飛び出したもんだから、本当に無茶な話です。
そんなわけだから、患者のいろいろな愁訴に正直お手上げだった。
医学書片手に頑張ったが、わからないことばかりで手のつけようがない。
いかにして、患者の苦痛を除去してやるべきか、と私は焦らざる得なかった。
そして、私のような医者に見切りをつけた患者たちの動きを眺めていると、民間治療師や漢方医に流れていることがわかって、私は自分の貧弱な現代医療に何かプラスするものがあるかもしれないと触手を伸ばしてみ始めたんです。
特に、整形外科の患者が苦手で、接骨師を引っ張て来てやらせてみたり、按摩、針、整体など町の治療師たちに頭を下げて来てもらって、そのテクニックを教えてもらった。
そんな模索を10年も続けただろうか。
そしたら、民間療法に一貫しているものとして、運動系の歪みを治すということに思えてきたんです。
そして、調べていると、歪みを治すのに、痛いことをしないで、痛くない方向に動かして、治す方法があったんです。(正體術・高橋迪雄氏)
ハハァ、なるほど、骨を動かすのか。
骨格と病気とは関係があるな。
私はその時、腹の底から得心がいったような気がしました。
当時に額をぶつけた患者が来て、べこっと丸くへこんでいて、陥没骨折というやつです。
これは手術以外にどうしようもないな、と思ったが、ふと、、、こっちからへこんだから、反対側のどこかに変化があるんではないかと思い直して、あちこち、頭を触ってみたんです。
すると、対称点に、後頭部にひどい圧痛があるという。
そこを触るとうんと気持ちがいいと言うんですね。
気持ちいいんだったら、気持ちよくしてやれ、とばかりに毎日押してみた。
はじめはこんなことってあるかな、と思っていたが、確かに出てきている。
それから2~3ヵ月続けてみたら、ほとんど凹みが目立たない程度に出てきたんですよ。
こっちはもうびっくりしてしまった。
こんなことは教えてくれないですものね。
私が、「とにかく気持ちのいいことをしろ、気持ちのいいことが一番だ」といつも言うのはこんな体験があるからなんです。
そういった療法は昔から民間にいたんです。
その後からずっと、あらゆる機会をとらえては色々試してみましたが、まさにその通り、という確信をますます強くしたものでした。
気持ちのいいことは何をしてもいい。
苦しい方、痛い方に動くのではなく、楽な方、気持ちのいい方へ動けばいい。
ただこれは、食いすぎ、二日酔いなど、後味が悪いものは気持ちよさとは違う。

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私は21才で専門学校を卒業して、すぐに院長になりました。
その時は雇われ院長です。
総院長は学校の副校長をやっている方で、院は良くも悪くもすべては自分で進める形でした。
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