柔道整復師の歴史

投稿日:2021年4月1日 更新日:2024年1月27日

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柔道整復師の歴史

 柔道整復に関する記述で最も古いとされているのは、10世紀末に書かれたとされる「医心方」。

 本書は、日本において、現在に伝わる最も古い医学書とされている。

 この「医心方」の18巻には、骨折や脱臼、打撲などの治療法に関する記述がある。

1868年 明治元年 

 明治政府、西洋医術採用方公許江戸時代末期に至ると、漢方医・蘭医・接骨医らによる医業の全盛期を迎えるが、明治に入ると、外科・接骨術は欧米万能の医制改革が行われるに及んで多難な道を歩むこととなる。

1874年 明治7年 医制改革

 1874年 明治7年 医制改革が行われる。 永きに亘って民衆に親しまれながら伝統を護り伝えてきた漢方医や接骨医の身分が確定した。

 江戸時代まで鍼灸治療、薬草治療、整骨治療、按摩治療等の医療は「本道(ほんどう)」と呼ばれていましたが、国の中心となる医療ではなくなったことから、別称として「漢方」と呼ばれるようになった。

1875年 明治8年 

 明治8年の医師学術試験規則により、従来の接骨術者は届け出により条件を満たせば「整骨科医術開業免許」が与えられ、届け出条件に満たない場合には試験を受けなければ免許が得られないことになる。

 これより整骨科医師が誕生することになりますが、明治16年(1883)医師免許規則の公布により専門医師としては歯科のみが設けられ、他の産科・眼科・整骨科は「医師」として統合される。

 医師試験を受けず、医術開業免許も得られないままに接骨術を営む者には、「従前接骨業」として都道府県庁規則により取り扱われることになった。

1881年 明治14年 柔道整復師の危機

 明治維新が起き、新政府が成立して以降、西洋医学を主体とする医療制度の整備がおこなわれた。 

医療行為に対して医師免許が必要となる漢方医学等東洋医学の廃止が明治14年に公布され、事実上「接骨禁止令」として「柔道整復」は存続の危機に瀕することとなった。

1883年 明治16年 

医師免許規則公布、医術開業試験規則制定

 この改正により「専門ハ歯科ニ限ル」こととなり、従来の産科・眼科・整骨科など専門医はすべて医師として統合される

1885年 明治18年 接骨禁止令

 接骨術公認請願運動は、明治18(1885)年、時の内務卿山県有朋の名で発せられた「入歯歯抜口中療治接骨取締方」により、接骨の禁止令が出された時から始まった。  

 伝統的療法の規制が法的に行われ、医師でなければ接骨業を開業することができなくなる。

 これは事実上の接骨の禁止令であった。

 一方、同じ取締法中にあった「入歯歯抜口中治療」の人たちは、全国に呼びかけ、会を組織して一致団結し議会に請願した。学校制度を確立し立法化により専門医としての歯科医師の確立を見た。

1891年 明治24年

 東京府令「入歯歯抜口中治療接骨営業取締規則」発令 

 これにより従前接骨業は「接骨科」などの看板を掲げることを禁じられる。

 当時は、骨・関節傷害の施術は、密かに「ほねつぎ」の手によって行われていた

1894年 明治27年 

明治27(1894)年太政官令によって「従来の接骨業」は廃止の憂き目となる。

1911年 明治44年

 内務省令「按摩術営業取締規則」「鍼術・灸術営業取締規則」制定される。

 この制定により、接骨治療の取締が厳しくなり、柔道家の死活問題となる

明治45年 

萩原七郎氏

5 月 萩原七郎氏、接骨術の復興を企図。

 接骨術公認について行動を開始

1920年 大正9年 柔道整復師が認可

嘉納 治五郎

 これに危機感を覚えた嘉納治五郎ら柔道家たちを中心とした運動により、大正9年(1920)には、内務省令「按摩術営業取締規則」の改正で「柔道整復師」が認可され、国家資格となる。

接骨術は柔道整復術として公認され、以降、「接骨」ではなく「整復」という名称が採用され、現在に至っている。 

嘉納師範と萩原七郎氏の厚い信頼関係によって成し得た功績だといえるだろう。

1920年 大正9年 第1回柔道整復師試験

 同じ年、大正9年(1920)に警視庁にて第1回柔道整復師試験が実施。

 東京の警視庁において初日筆記試験、2日目実技及び口頭試問が実施され、全国で163名が合格し、大正10(1921)年1月15日付、東京府警視庁公報第1360号に合格者氏名が発表された。

1922年 大正11年

 大日本柔道整復術同志会の発足 。 

 第1回柔道整復師試験合格者によって大日本柔道整復術同志会が結成された。

 これが社団法人日本柔道整復師会の第一歩である。  

 大正11(1922)年4月、大日本柔道整復術同志会が、新たに大日本柔道整復師会(初代会長・市川欽)と改称して正式に発足した。

 この会は全国の柔道整復師によって組織するものであり、柔道整復師の進歩発展を図り、会員相互の団結及び親交を深めることを目的とした。

1930年 昭和5年

 昭和 5 年ごろから全日本柔道整復師会は、柔道整復師の身分法を内務省令(按摩術取締り規則に包含)から切り離して独立させ単行法にすべく、請願運動を開始していた。

 東京府柔道整復師会も全日本柔道整復師会に併せて協力体制を採った。

1932年 昭和7年

 江東柔道整復師会では、昭和 7 年ごろから「健康保険取扱い獲得運動」を大々的に始めた。

 当時この地域は町工場地帯で工場労働者の患者さんが多かった。

 しかし、日本で健康保険法が実施されて間もない時期であり、東京府柔道整復師会は単行法に力を注ぐあまり、健康保険にはまだ関心が薄く、江東柔道整復師会との間で「単行法としての成立を目指す運動」と「健康保険取扱い獲得運動」とが並行していた。

 内務省社会局保険部は「柔道整復師の身分では健康保険の取扱いはできない」という見解を示し、苦戦を強いられた。

 そこで江東柔道整復師会は工場協会に働き掛け、工場協会から内務省へ「ぜひ、負傷した際、健康保険証で柔道整復師の施術が受けられるように取り計らっていただきたい…」との嘆願書を提出してもらい、それに合わせて猛運動を展開。

 医師会の風当たりが強い中、昭和11年 1 月22日、内務省社会保険局保険部長の川西實三先生(後に日本赤十字社社長)と保険課長の清水玄先生(後に保険局長)の英断により取扱いが発令された。

1936年 昭和11年

 健康保険の取扱いが認められたのは、昭和11年のことであり、東京の江東柔道整復師会が先駆的役割を果たした。

 過疎地域、ならびに特定の住民密集地域における円滑な医療供給を目的として、柔道整復師の治療に対する健康保険の療養費払いが認められた。

 同年 4月 1 日から正式に取り扱いが開始。 

 そして警視庁保安部長から「柔道整復師の施術に関する件」として各事業所に通達が発せられた。 

 その内容の一部は「被保険者が打撲、捻挫、脱臼、骨折を生じ、付近にて適当な保険医がなく、柔道整復師の施術によらなければならぬ場合があることを考慮し、その場合はなるべく被保険者が費用を負担することなく、負担しても僅少で済むようにしたい」というものであり、柔道整復師の受領委任の取り扱いについては、当初からあくまでも患者さんの利便性を重視しているものであった。

1947年 昭和22年 柔整師の危機

昭和期の敗戦により昭和22年、GHQによって「武道の廃止と医学教育の伴わない医療の禁止」が公布され、再び「柔道整復」は危機に見舞われた。 

 GHQは柔道整復術および鍼灸術は非科学的な医業類似行為である、という理由から全面禁止令を出そうとしていたのである。

新憲法発布に伴い、各省令は12月末限りで失効、「柔道整復術営業取締規則」も失効することとなる。

  「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業取締法」制定公布

 新憲法公布によって、各省令は失効することになり、せっかく独立した柔道整復営業取締規則も廃止の憂き目を見た。 

 しかもGHQは柔道整復術に好意的でなく、廃止を考えている状況にあり、柔道整復師業界が希望する身分法制定どころか、既得権の消滅が案じられた。 

そこで一松厚生大臣、小野厚生委員長の協力を仰ぎ、この結果GHQは、アメリカでは骨折や脱臼は医者が扱っているのに、日本では医者もさることながら、非医者である接骨師が取り扱っている事実は諒解に苦しむ。

 然も非医者の彼らは徒弟制度によって許される極めて非科学的なもので、到底それを法律化し、合法視することには同意しかねるが、僅かに世界文化国家の医療に対する常識からは、日本国民は世界文化国家の医療に対する常識から50年も遅れているという前提のもと当分の間認める、という見解を示し、GHQの了解を得て制定されたのが「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業取締法」であった。

 この条文には「免許は、公に認定された学校又は養成施設を卒業したものであって、都道府県知事の行う試験に合格した者に対して、都道府県知事が、これを与える」と記されている。

1948年 昭和23年

 翌23(1948)年、「あん摩師、はり師、きゆう師、柔道整復師学校養成施設認定規則」が制定され、これらの職業に従事する者の養成は学校制度へと移行、各地に教育施設が開設されていった。

1951年 昭和26年

 日本接骨師会、「ほねつぎ、接骨、整骨」の字句使用承認に関する請願を行う。

 中央審議会において「ほねつぎ」の名称使用許可される。 

 1951(昭和26)年には、文部省・厚生省(現厚生労働省)共同省令によって柔道整復師の養成に関わる「学校教育にもとづく免許制度」が施行され、専門養成機関での教育による本格的な資格制度が整備される。

1953年 昭和28年 

 日本柔道整復師会と日本接骨師会が厚生省の斡旋で合併、「全日本柔道整復師会」として新発足。 

 社団法人全日本柔道整復師会設立認可

1962年 昭和37年

 厚生省「○○柔道整復院」の名称は認めるが、「○○整復院」の名称は適当ではないと通達

1970年 昭和45年 柔道整復師法の単独法

 昭和45年、それまで「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律」と同一の法律で取り決められていたものを、単独法である「柔道整復師法」が国会で可決成立。

 柔道整復の実態に照らすと、これを従来の法律で一括して規制することは不適当であるというのが、柔整業界の主張だった。

 “合わせて一本”の法律では納得できない柔整業界は、それぞれの業務ごとの罰則の強化整備などを可能にするため、新たに柔道整復師法を単行法として制定する法律案を提出。その努力が実を結び、抱き合わせのような法律から独立。

1976年 昭和51年 指導要領の制定

 この年に柔道整復師養成施設における指導要領(カリキュラム)が定められ、教育内容が明確化。 また柔道整復師の業務範囲についても骨折、脱臼、捻挫、及び筋腱などの軟部組織損傷に対する施術とし、柔道整復術の内容についても整復・固定・後療法 (手技・運動・物理療法)として明確に記述されるようになった。

1988年 昭和63年

 柔道整復師法一部改正案、可決成立。 

 この改正の主な内容は、修学 3 年制、国家試験、大臣免許の 3 点であり、これにより試験実施に関する事務及び登録を行う柔道整復師研修試験財団が設立された。

1989年 平成元年 柔道整復師法改正

 この改正で、従来都道府県単位で実施されていた資格試験が、厚生省(現厚生労働省)が実施する国家試験となり、厚生大臣免許となる。

1990(平成2)年

 1990(平成2)年に、柔道整復師資格試験ならびに免許証発行は都道府県知事から厚生労働大臣へ移管され、1993(平成5)年に第1回柔道整復師国家試験が実施された。

1993年 平成5年 第1回国家試験

 1993(平成5)年に全国1,066名の受験者でスタートした第1回国家試験は、2018(平成30)年には受験者数が6,321名へ。

1998年 平成10年 柔整学校の増加

 柔道整復師の養成施設(学校)は、1998(平成10)年までは全国14校、募集定員合計1,050名でしたが、2018(平成30)年で104校、募集定員数7,629名へと急増。

従来、柔道整復養成施設の新規開設は厚生省の行政指導により制限されていた。

・14校1学年定員1050名の総量規制
・受領委任の取扱いは各都道府県社団法人の会員のみ許可 等

柔道整復師養成施設不指定処分取消請求事件(概要)
厚生大臣が柔道整復師養成施設指定申請に対してした同指定を行わない旨の処分が,違法とされた事例

・ある学校設立希望者が、平成8年6月に福岡にて新規柔道整復専門学校設置許可申請書を厚生大臣に提出するも、柔道整復師の従事者数は相当増加している状況にあり、養成力の増加を伴う施設を新たに設置する必要性が見いだし難いという理由で新規参入を認めないとした。学校設立側は福岡地方裁判所に提訴し、平成9年10月に第1回裁判が開廷。その後、複数回の裁判を経て平成10年8月福岡地裁において柔道整復師養成施設不指定処分取消請求事件の判決が下され、以後、厚生省は養成施設指定規則さえ満たせば設置を認める方針に転換。

2001年 平成13年 WHO報告書において初めてJudo Therapyが紹介される

この年にWHOで提出された”Legal Status of Traditional Medicine and Complimentary/Alternative Medicine: A Worldwide Review” において日本の柔道整復が初めて世界に紹介され、 日本における柔道整復に関連する法制度(教育・保険適用等)が記述された。

参考文献
柔道整復の歴史
柔整白書
柔道整復師専門学校の規制緩和について
社団法人設立65周年記念・柔道整復術公認100周年記念誌(PDF)
原点回帰

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 私は21才で専門学校を卒業して、すぐに院長になりました。 

 経営・治療・スタッフ教育・ 患者さんが来ないことに対して、夜中に来るように神頼みするだけの日々を送ってきたこともあります。 

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