投稿日:2023年1月14日 更新日:2024年1月16日

0歳 福島県いわき市で出生 兄、私、妹の3人兄弟
・
1歳
2歳
3歳 妹が生まれる みんな妹を可愛がり寂しさがあったような気もする。ただ、自分の妹だからお世話してた。母曰く、ミルクをあげ、おむつ交換していたらしい。
4歳 江名幼稚園に入園する。年少1クラスで15人くらい、最初の2週間は毎朝泣いていた。友達に「大丈夫だよ」と慰められ頑張ってた記憶がある。担任の先生は肝っ玉母ちゃんのような面白く優しい先生で歌をいっぱい歌ってくれる先生だった。初めての運動会ではお臍がまがり、競技に参加しなかった。私の娘(次女)は当時の自分に似ていて、不安で泣くことがあるけど、競技や発表会では笑顔でやっていて凄いと思った。
5歳 年中に進級する 女の子(A)が1人引越してきた、その子にやたら好かれていて片腕を引っ張られ園生活を送る
でも、他の友達とも遊びたいのに(A)が独占欲が強く遊べず… ストレスたまり、家で妹に八つ当たりする 、遊んでるとこを邪魔されると怒ってた気がする、そして母に怒られるという負のループ。
6歳 年長、毎朝8時には幼稚園に行きたくて、母を待てず1人で幼稚園に行く。母と先生に心配かけたと反省する。朝早く行く理由は、幼稚園にあるドレスをGETしたいから。色は黒でお姉さん役をするのが好きだった。
お遊戯会では、主役を勝ち取る。ちなみに鶏のお母さん役。理由は、目立ちたい、可愛い服を着たい、1斤の食パンを持ちたかったから。
途中でセリフが飛び、思い出すまでアドリブで無事やり過ごす。
お遊戯会を見に来ていた、小学校の校長先生が、「2年前に運動会で泣いて競技しなかった子が主役をやるようになってびっくり!」と言っていたそう。幼稚園を卒園
7歳 江名小学校に入学 人数が38人のため1年生は1クラスだった
初の一クラスで新聞に載ったきがする、緊張して入学当初は自己紹介もろくにできず、、、
担任の先生が優しくて救われた。
8歳 2年生になった。人数が38人なので1クラス。二学期になる前に担任の先生が産休に入り、代わりの先生(女)に変わる。
変わりの先生が癖つよい人で、ランク分けされてた勉強できて、明るい子が好きみたいで引いきが強かった。
いつも怒鳴る先生で、今のご時世学校でやったら問題になりそうなこともあった。
9歳 3年生になった。転校生が2人きて初の2クラスに!仲良い友達がみんな1組にいってしまった…
仲良しグループができてて、中に入ることができなかった。
1人でいることが多くて、幼稚園から一緒の男子が気にかけて話しかけてくれた
転校生(男、女)はどっちも私のいるクラスになって女の子と気が合い、仲良くなる。
下校は前仲良かった友達と帰るので、クラスが離れたことに不安、学校に行きたくないと思うようになる
グループで活動する授業が1番いやだった次第に身体にも症状が出始め、お腹がいたいのがしばらく続く。
本を読んだり、漢字が好きだったからひたすらやっていた。校内漢字テスト100点とる。祖母が喜び、
近所の人に自慢げに話す。家では兄のゲームの相手をさせられ、下手と言われ
、はたかれ、家を出たいと思うようになる。だから1人で庭で遊ぶことが増えた。おままごとや縄跳びをマイクにして歌を歌ってた。
母に相談したくても、頭痛いとかで寝込んでるから相談できず、寂しかった。
近所の人が優しい人で、家に行ったらお菓子をくれたり、ご飯も作ってくれた。その代わりじゃない
けど、肩揉んだり身体全体をさすったりしてあげた。上手だねって褒めらるのが嬉しかった。
そして、「今は我慢が必要かもしれない、賢く生きろ」と言われ、大きくなったら家を出て、1人
でも生きれるくらい強くなろうと心に決める。だから今はいい子でいて、諦めて生活する事にした
二学期になって、1年生の時の先生が復帰する私がいるクラスの担任になった。
お腹が痛いのを先生に話すと、「1人で辛かったね、よく頑張ったね」と言われいっぱい泣いた
先生が親に話してくれて、病院に連れて行ってもらう。レントゲンをとると、胃全体に穴があいている状態だった。
病院の先生もびっくりして、お母さんを怒ってたこんなになるまで、わからないなんてって。
原因は極度のストレス。誰にも相談できず溜め込んで身体にでたのだと説明された。病院では安定剤を処方されただけ。
学校側は、クラス変更はできないけど、算数とグループ活動は2クラス合同にやるようにしてくれた。だから、前仲良かった友達と組んで勉強しているうちにお腹の痛みはなくなる育成会のフットベースに参加させられる(人数たりないから)
体格が大きいから大丈夫と、ホームをやることに。身体を動かすのは好きだから休まず練習に参加。
10歳 4年生になる クラスは持ち上がりクラスにも慣れ、仲良い友達もできた。
学校終わってから友達と公園で遊ぶ日が増えた。お小遣い1日100円…でお菓子買ったら飲み物
買えず、友達に数口貰う。お年玉を預けてることに気づき、母に返してとねだる。友達がおしゃれ
で髪型にこだわりができる。相変わらず算数が苦手で、残って勉強させられた
答えが同じになればいいと思い、自己流の計算式を作り、少し楽しいと思うようになる。
フットベースも参加し、ファースト任される。同級生より1年早く参加してたのもあって、気持ちに余裕があった。
11歳 5年生になる。担任の先生が変わる。他校からきた先生で不安。
そして2人転校してしまい、また1クラスに……今まであまり話さなかった子と仲良くなり、アイドル(モー娘。)にはまる。
担任の先生は、ドラえもんのような体型でマイギターで弾きながら歌を歌う人。
この先生、初日には全員の顔と名前を覚えていた。眼力も強くて魔女かとおもった。
鼓笛隊が始まり、トランペットをやりたかったけど、吹けず落とされる。
意地でもハーモニカーになるもんかとポンポンの振りを30分で覚え、見事勝ち取る。
緑色がやりたかったけど、6年生がやるらしく、赤色にされる。
衣装が可愛いし、目立てるからいいやと吹っ切りたくさん練習した。
それが認められた?のか、6年生が可愛がってくれた。
上手だからとセンターで踊ることになる。
フットベースではキャプテンに抜擢される。遠くに跳ばせるように近くの公園で自主練する。
苦手な子には時間早めに来てもらって教えた。家では、母を怒らせないよう先回りしてお手伝い
する。何もしなくても言われない兄と妹がずるいと思いながら、自分の為にと動く。
12歳 6年生になる、相変わらず1クラス。修学旅行で行った、会津が好きになる。白虎隊にはまり、本を買ってもらい、ビデオ(当時は)を借り歴史を全部覚えた。好きな白虎隊士について調べつくした。学校で男子は白虎隊の劇をやり女子は、歴史の発表だったから前に出て指揮をと
った。劇には関係ないのにセリフのチェックもしてた。小体連の練習始まる。短距離がやりたかった、
足はクラスでも速いほうだったのに、選ばれず、何故か、運動苦手な子がいっぱい選ばれてた…
結局、ハイジャンに選ばれ、女子1人、男子1人ときまずい…みんなを羨ましく見ていた。大会では自己ベストを跳べず悔しかった。
フットベースではキャプテン継続し、大会で選手宣誓する。
惜しいとこで敗退する。合唱コンクール?でオカリナで演奏する。楽器が苦手だから、自己流の楽譜をつくって家で練習した。
そして、オカリナができない友達に教えてと。1週間後に演奏できるようにしてと先生に頼まれ、焦る。また自作の楽譜をつくる。
3月 小学校卒業する
13歳 江名中学校入学。またしても仲良い友達とクラス離れる
長崎小の子と仲良くなり、友達は大丈夫そう。勉強が怪しくなる、特に数学、、自己流のやり方が見つけられず苦戦する
何故か帰宅後父に教えてもらうことになり、夜10時までやりたくない数学の時間。頭に入るわけない笑理解しようと思ってない自分。
他の教科がよければできなくてもいいやと諦める友達が塾に通い始め、少し焦る。学校で頭いい子に教えてもらい、なんとかのりこえる。
部活は陸上に入る。短距離と思ったが、レベルの違いを見せつけられ、幅跳びを希望する。
記録はよくて、選ばれそうだったのに練習中怪我する、右膝半月板損傷、怪我してから1ヶ月放置してたら、正座が出来なくなり痛みも強くなって整形受診。
診察結果は、opeしないとダメだと、術後半年は陸上禁止といわれる。中を開けてみて詳しく説明といわれ絶望する。
幅跳び選手になれず、練習できず、見学のみになる。夏休み明けに入院しope。地獄のリハビリ
が始まる。リハビリが辛くさぼるようになる病室まで迎えにくるからイライラが募る。
リハビリで歩く練習中は先生見てないし、やたら歩かされるし、痛いのに足を動かさないといけないのが納得できなかった。
このまままでは、半年どころか、10ヶ月、1年陸上できないよと言われ、真面目にリハビリ始める。担当してくれた理学療法士の先生が
リハビリ完了までのプランを教えてくれてやる気がでた。柔道整復師と理学療法士どっちも資格
持ってる先生で、最短5ヶ月で走れるようにすると話てくれたのが響いて信じてみようと思った。
自宅でできるメニューもくれて週1の診察の時は顔出して、リハビリ見てくれて、もう走ってもいいのではと早く提案してくれたおかげで5ヶ月
で復帰できたことに本当に感謝した。走れない間、顧問の先生が体幹を鍛えるのに、砲丸投げを提案してくれて、最初は全然できな
かったけど、練習してるうちにコツをつかんで飛ばせるようになり真剣にうちこむ。
5ヶ月のスランプのタイムを戻すのに大変で、早い子と100メートルで3秒の差ができてしまって、リレーも入れなくなったが、身体作りの為に
短距離グループで走り込みをさせてもらう。
・他のクラスの女の子のお姉さんとその友達に、
妹の彼氏と仲良くしないでと忠告される。
思い込みって怖い…先生と部活の先輩に相談し収まるが、女の子は学校に来なくなり少し責任を感じる
14歳 中学2年生になる 進路調査が始まるクラス替えあり、仲良い友達6人グループ、行きたい高校がない、というか行けるとこで
いいと思っている。勉強、数学が嫌い、部活に明け暮れる 部活で私にも後輩ができるみんな素直で明るくて可愛い。
お昼は毎日保健室登校の友達と食べていた頼まれたのもあって)
15歳 中学3年生になる 受験生志望校決めないといけない、その時の成績が悪く焦る。とりあえず自宅から近い高校に1期で入る事を決める。
作文は得意だったからなんとかなるだろうと2回練習して終わった。面接練習はいっぱいした
が、自信がなく部屋に貼っていた。
部活を夏に引退する。
学校→帰宅→勉強と楽しくない日が続く。
1期受験始まり作文はいけた、面接ボロボロで帰宅後泣いた。
11月終わり?に結果きて、無事受かる。1期で受かったから課題を出される。地味に多く、毎日こなす日々。中学で1番勉強した。
中学校を卒業。式が終わってから友達と写真撮ったり楽しんで車に向かうと母の機嫌が悪くめんどくさいと思った。
話を聞くと、友達のお母さんとも写真を撮ったのが気にくわなかったらしい。
16歳 4月高校入学する 新しい制服でウキウキ。同中はあまりいなかったから新しい友達ができるのが楽しみ。
後ろの席の子と気があい仲良くなる。ギャル?の子に目をつけられる。
男子の前ではブリブリしてる子でめんどくさい。
たまたま同じクラスで同中の男子が助けてくれる担任に話し、ギャルは落ちついた
2年になったらクラス替えがあるから我慢してくれと言われる。
高校卒業したら、専門学校に行きたいから勉強して偏差値を上げようと毎日勉強する。親に専門学校行きたいとお願いすると、行きたい
理由を原稿用紙5枚にかけと言われ書く。
でも認めてくれなかった。部活は書道部に入部。
17歳 高校2年生、 進学クラス。 書道部部長になる。 仲良い友達と一緒、勉強が楽しくなり、参考書を買う、成績が上がりまくる、学年で10位以内には必ず入っていた。1番いい時は3位だった。再度、専門学校行きたいとお願いする。
体験入学の時期調べて、資料集めてと言われ、次の日先生に頼んで資料をGET!
日にちを調べて、夏休み中に郡山の専門学校に見学にいく。
実際に行きたい柔整科を見学、テーピング巻いたり学科の問題をみたりした。
説明で、勉強難しいと言っていたが、高校で成績良かったので大丈夫だろうと気楽に考えていた。
ちなみに、父から専門学校のOKはまだもらえてない。
18歳 高校3年生 進学クラス 3者面談で、偏差値も良いし、学校生活も真面目に過ごしているから進学は大丈夫だろうと言われる。
親と話し合い、絶対に行きたいと熱弁しOKもらう。父から、絶対に途中で辞めず卒業し、国家試験に合格することと約束させられる。
自宅からも通えるが約1時間30分かかるから寮に入りたいと話す。研修もしたいと。
移動費と寮費計算してやすかったのが寮だったので、入ってもいいとお許しをもらう。
寮に希望を出す。
専門学校合格する、
奨学金1類を借りるのに成績を上げようと勉強する。が、4.4で1点足りず2類になる
高校の卒業式でまさかの個名呼ばれる際に、
担任緊張し、名前飛ばされる…
そして、私たちのクラスだけ2回も名前呼ばれることに笑
高校楽しかったから、卒業式で初めて泣いた。
19歳 郡山市の専門学校柔整科に入学 親元を離れ生活する。賢くんと出会う。
家から出れて嬉しかった。今まで窮屈だったから、未来が明るかった。専門で学科から始まり、ちんぷんかんぷん…
難しいというか、何を言ってるのかわからない。赤点とらないようにだけしようと思うが5個もとってしまった…
ヤバい、先生と友達に教えてもらいなんとかクリアする。
研修始めるが、院長が酷い人で人間不信になる、なかなか帰してもらえないなど酷かった。
研修の日は必ず腹痛になり、ご飯が食べれなくなる。研修の日じゃなくても、不眠気味で食欲減退し、体重が減っていく。
大好きだった先生が院長に酷いことされ辞めてしまった。その後も悪態は続き、もう無理だと思い病院を受診、社長に話し研修を辞める(秋頃)
研修を辞め、腹痛もなくなり、寝れるようになる。
20歳 2年生になる 勉強が難しくなる、ついてくのが精一杯。実技もレベルが上がり、寮の友達と練習する。勉強も教えて貰ったり助かった。
友達とカラオケオールしたり、泊まったり色んなことした。
自動車学校にも通い始める。知ってる人いなく
て1人だった。1ヶ月はサボったけど無事1回免許取得。
国家試験対策が始まる、下から数えた方がはやかった。
このままでは、受からないと思ってくる。
21歳 3年生になる 国家試験対策のゼミが始まる全教科参加することに。暗記は無理だし、
若干絶望をみてる感じ、理解しようとするが上手くいかない。ほんと嫌って何回思ったか、
遊んでる暇無いけど、以外に遊んでたかも。暗くはなってなくて、なんとかやってた。卒業試験は受かり、国試受ける。
過去問とニュアンス違うじゃん…去年の簡単だったのにー
癖つよい問題ばっかりで、基本問題点数足りず不合格。ちーん…
来年も受けるため、後期から受講することにした
卒業式前日、東日本大震災が発生。実家と連絡とれなくなり、友達の家に避難した。
テレビで津波が来たのをみた、実家は海の近く、家もないかも、家族もって覚悟をした
寮にいれたが、怖かったから部屋には行かず、
何回も余震がくる、寝れない、買い物行っても何も売ってない、空いてない
学校で食事をもらい過ごす。震災の翌日、寮にいくと、部屋はグチャグチャ
それでも荷物をまとめてたから最小限に抑えられた。
必要なものだけとって友達宅へ。
やっと母と連絡とれた。みんな無事だと。
とりあえず、暫く友達の家で過ごし、寮を出た
後、一人暮らしをすることになってたからアパートへ移動。
22歳 リラクゼーションでバイト、整骨院で研修生として働く。なんとかやっていけていた。勉強は自宅と後期から再受講して学校で。
後輩と同じ教室、気まずい、気まずい。同級生3人いたからよかった。2回目の国試。またしても点数足りず不合格。
ショックで泣きながら母に連絡。怒られなかったのにびっくり、
来年もう1回受けて、合格すると誓った。
心のなかで、3回目ダメなら諦めようと決めた。
23歳 バイトしながら、勉強。バイトない日は、時間気にせず勉強した。他はあまり記憶がない。国試受ける、合格した!
車の中で採点して、大丈夫だってわかって安心、一緒にきてくれた賢くんと、帰りは牛タンを食べて学校へ。
就職先を探すが中々雇ってもらえない。
自分でもしっくりこなくて何10件と探した。
最後に見学したとこで、雇ってもらえることに。
4月からと決まった。
24歳 4月 某整骨院に就職する。先輩に教えてもらい楽しく働いていた。治療の勉強はしてなかったなー頭使わずに過ごしてたと思う。
25歳 5月に入籍、結婚する仕事は続けて、10月二週目に待望の第一子妊娠。
妊娠したことを伝えると、仕事を辞めさせられた。(院長に)
まだ働きたかったからショック、でも、育休制度がなかったから仕方ないと諦める。暇な日を過ごす。
11月に入ると悪阻が、しかも食べ悪阻で食べてないと気持ち悪くなる。
歩いた方がいいと言われ散歩すると悪阻落ちつく。産婦人科と散歩に行くくらいで自宅で過ごす。
12月に 会社買い取り、主人と一緒に働く。治療はせず、受けがメインで。
以前の職場は、静かに話すとこだったけど、今度は大きい声で話すから慣れるまで大変だった患者さんも優しい人ばっかで助かったー
26歳 お腹がでてくる、予定日は6月毎日忙しく働く。5月に入っていわきに里帰り、
胃が圧迫されて苦しい。もう出てきていいよーって話しかける
5月終わりの夜中3時半にお腹が痛くなる一気に陣痛間隔が短くなる。4時に産婦人科へ。
横になっても座っても痛い。母に1度帰ってもらう。朝6時頃間隔がもっと短くなり、子宮口も開く。9時45分に娘誕生。約6時間半くらいと
初産にしては上出来。
27歳 ワンオペ育児。毎日同じで自分のいる意味がわからなくなる。
子供は可愛いが、社会から取り残された感、仕事しながら育児してる人が羨ましく思う、娘1歳半の時、主人の仕事手伝う。
28歳 仕事→受付け、サブで動く。仕事→子育てだけ、なんか周りが羨ましい。自分大事にされてないと思う。
29歳 栃木から保護犬を迎えるため引っ越す。名前はとわ君 長女3才の時第2子妊娠する。予定日11月。悪阻全くなく、過ごしやすい。毎日歩いて通勤してたからか?11月に無事に次女生まれる。
今回も超安産で安心した。今回も立ち合いなし。次女を背負いながら仕事をする。
30歳 仕事続ける。次女を背負ったり、遊ばせながら受付、途中から治療にも入るように。自分の役割というのにこだわっていたと思う。受付なんかやりたくないと話す、患者さんが良くなるとうれしい、治療が楽しくなる。
31歳 1月には無理だーというとこまできた、続けられない、お金もない。どうしよう… 働かなきゃ、、
主人が両家にTELしてくれた、お義父さんにお金を借りる。ありがとうございます。いわきに引っ越す予定で面接も受けるが、主人が見つけてくれ、安く店舗付き住宅を借りれることになり、主人は整骨院をやる、私は郡山の会社に就職する。4月~デイサービスで機能訓練指導員として働き始める。車も乗りだしたばかりなのに、ハイエースも運転できるようになる(笑) 運動の専門がいなかったから他のスタッフに期待される、好きにやっていいと言われ、生活をみながらプランを考え、1人1人カウンセリングし、訂正しては実践する。車椅子で歩けなかった方が運動して補助具つけて歩けるようになる。何年も通っていて歩けなかった人だからみんな喜ぶ、最初は感謝されたくてやってるわけじゃなかったのに、期待している自分がいた。もっと褒めてくれればいいのに、上にあげてくれてもいいのにと、他利用者さんもいい結果がでてくる。治療はできないから結果はほんとに少しずつ…運動で選んで入った新規者が増え始め忙しくなる。心が閉ざしている方が多くどうすればいいか考える。次女は1歳5か月で保育園に入所。この時家族はほったらかしで考えてなかった。ただ、お金があればいいと思っていた。自分はちゃんとしてる。と口癖?になる。
32歳 デイサービスで働き続ける。自分でお金を稼ぎ、頼られることに満足感が出てくる。勉強会の資料作り、毎月の資料まとめ、後輩の育成などで家のことを考えない生活。独身ならどんなに楽か、と思った。仕事でも要望が増えストレスがたまる、ミーティングで悔しい思いもした、4月初め第三子妊娠発覚。これから、、というときだったから、産むか悩んだ。病院でも悩んでることを相談する。ただエコーを見ると元気に育っていて可愛いと思った。話し合い、産むことを決意。予定日は11月。会社に伝え、10月の2週目まで働き運動指導も続けていた。そして11月に無事出産。今回も超安産。陣痛がきて3時間で待望の長男誕生。可愛くて抱っこをいっぱいしてた。
33歳 自分で子供を見ながら賢君と仕事をしたいと思い育休明けに退職する。院の受付けから徐々に治療に入る。なかなかうまくいかない。患者さんが増えない。のに、考えてない自分、やるって思ってもやらない。お金の心配も増える。なんで私のせいなの!とケンカになる。それを繰り返す。相変わらず患者さんが増えず、暇な日が続く。貯金もまもなくなくなる。また、お金貸してください、といかなければならないのか、、いわきか、、ここで終わりたくない!何とかしたい、何をすればいい?主人と繰り返す。賢君のために、子供たちのために。