投稿日:2021年8月11日 更新日:2024年1月23日
なにが言いたいかっていうとね、飽きっぽいのがいけないんじゃない。
飽きっぽさも、神様が与えてくれた“よきもの”なんだよっていうことです。
だから、例えば「田植えなんて嫌だな。めんどくさいなあ」と思っているような人間が、自動の田植え機の発明をするのであってね。
田植えが趣味みたいに好きで「何時間でも田んぼに浸かって、苗を植えていたい!」という人が田植え機を発明するとは思えないでしょ。
そんなことは、まずないんです。
だから神様が与えてくれたものは、どんなものでも、すべて“使い道”があるんです。
その、神様からいただいたものの“使い道”を作り出していくのが、われわれ人間の頭なんです。
神様が与えてくれるものはすべて、ダイヤモンドの原石みたいなもので、そのままでは輝かない。
“使い道”を探していかなきゃならないんです。
たいがいの人は「自分のこの性質はよくないものだ」と思い込んでいて、それの“使い道”があるなんて考えてもいないでしょう。