本当の頚椎損傷

投稿日:2020年12月8日 更新日:2024年1月31日

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前方法から後方法へー頚椎椎間板ヘルニアに対する手術的治療ー

 参照:前方法から後方法へー頚椎椎間板ヘルニアに対する手術的治療ー

 〇頚椎ヘルニアに対する手術法は1960年代までは後方法からが一般的だった。
 しかし、ヘルニアの摘出が困難という問題点があり、1960年からは前方法が普及した。
 1980年からは手術用の顕微鏡も導入され、後方法の可能性も再検討されている。
 この研究の目的は、手術方法と手術成績を検討することである。 

 〇1980年代では前方法75%と後方法が25%、2000年代には前方法9%、後方法91%と、最近では、後方法が一般的に普及している。

 〇119例 男性89例 女性30例 平均延齢51歳 脊髄症39例 神経根症59例 根脊髄症21例  

 〇神経根症では後方からの顕微鏡視下ヘルニア摘出術59例。
 手術後前例で上肢痛が軽減、54例92%は、完全に消失している。
 5例の8%はごく軽度の上肢痛が残存。軽度のしびれが残存例が16例(27%)。 

 〇正中に巨大なヘルニアがあり、後方から摘出が難しい症例のみ前方除圧固定術を選択しており、前方法に適応した症状もあると考える。 
 また頚椎ヘルニアの再手術例に対して、前方法が12,3%で後方法は1,4%と、後方法が明らかな安定がみられている。 
 前方法は隣接椎間障害による、再手術率が10年の経過で10%前後であり、長期成績が不安定であると述べられている。 

 〇ちなみに海外では、人口の椎間板を使った手術があり、除圧をしない、前方手術が行われている。
 膝や股関節の人工関節の耐用年数が20年に満たないことを考えれば、その長期成績は、不安定であるとも考えられます。 
 若年者の多い頚椎ヘルニアでは可能な限りでは後方法で対処するのが望ましい。 

☆野球選手 赤星選手 頚椎ヘルニア持ち ダイブをした際に首を損傷 
↓ ↓ ↓
倒れた時は両足が動かなかった。

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阪神赤星憲広外野手(33)が、無念の現役引退を発表した。9日、兵庫・西宮市内のホテルで会見を開いて、ユニホームを脱ぐことを表明した。9月12日横浜戦で負傷した「中心性脊髄(せきずい)損傷」からの回復が難しく、100%のプレーができないと判断。球団の勧告を受け入れて、9年間のプロ野球人生に幕を閉じた。盗塁王5度を誇る球界最高峰のスピードスターが、電撃的にグラウンドを去ることになった。

 引退会見は、衝撃の告白から始まった。「日本全国いろんな病院で先生の話を聞いて、今のまま続けるのは危険だと言われた。今度やったら不随になるかもしれないし、最悪命を落とすかもしれない」。

 初めて首痛で欠場したのは07年4月14日のことだ。16日には頚椎(けいつい)椎間板ヘルニアと診断された。激しいプレーの連続にダメージは蓄積されてきたが、引退に直結したのは9月12日横浜戦だった。中堅の守備でダイブした際、再び首を負傷。「倒れた時は両足が動かなくて倒れたままボールが投げ返されるのを見た。このまま戻らないんじゃないかと思った」。仲間に抱え起こされても、足はふらついたままだった。

 背負ってしまった「中心性脊髄(せきずい)損傷」は、プロ野球のトップ選手として完全回復するには重いハードルだった。効能で有名な秋田県の玉川温泉を訪れ、温泉治療を試みた。日本全国の著名な病院で診断。極秘で渡米し、米国の病院でも判断を仰いだ。しかし医師の言葉が変わることはなかった。

 10月末に初めて沼沢球団本部長が現役引退を勧めた。赤星は「最後の最後まで現役を続けたい、1年でも長く(回復の)様子をみたい」と返事した。ストレートな赤星の思いと、今後の人生まで考慮した球団の決断のせめぎ合いは1カ月続いた。11月28日、南球団社長が直々の説得。回答を保留した赤星だが、12月3日に引退を受け入れた。

 170センチ、66キロの小さな体でプロの世界を生きてきた。「100%の力を毎試合出さないと勝てないと思ってきた。ただどこかしらセーブする自分もいて、プロとして身を引くべきじゃないかと思った。よくグラウンドで死ねたら本望というけれど、本望と思えない自分もいた。恐怖心もあった」と口にした。

 新人だった01年から5年連続盗塁王。381盗塁は球団歴代1位、プロ野球歴代9位。広い守備範囲と高い出塁率で2度のリーグ優勝に貢献し、スピード重視のスタイルがチームカラーのつなぐ野球を加速させた。「僕が入るまでそういうチームではなかった。いい意味で走塁改革できたと思う」と胸を張った。

 仲間には8日に電話で決断を伝えた。ほとんどが絶句し、驚き、「もう1度話し合おう」と翻意さえ促した。ただ事前に遠回しに伝えた金本からは「そうか。そういうふうにしたんだな」と言われた。

 やっとジレンマから解放される。今も腕にしびれが残る。この日の会見では「実感がわかない」と10度以上言った。「野球をやっている時はしたいことを考えなかった。野球以外のこともやってみたいし、機会があれば将来的に経験を生かして(指導者に)と思う。ただ今の状態では無理。体を治したい」。決断を下したレッドスターは静かに羽根を休める。

 [2009年12月10日9時22分 紙面から]ソーシャルブックマーク

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